芸術の秋 か?
昨日10月24日の話です。
朝、8時起床。洗濯と掃除をさっさと済ませ、バスと電車で平田駅まで行き、病院へ退院後の経過を診て貰いに。術後の傷の回復は順調で、そろそろお酒も缶ビール1本くらいなら良いし、温泉や銭湯も長湯をしなけければよろしいとのお許しが。
そんなわけで、今日は久しぶりに極々小さな旅へ。
穂高駅に到着。
まずは、穂高神社から程近くにある、
今年5月、20年に一度の式年大遷宮とそれに伴う、拝殿等の新築工事も終わり、すっかり綺麗になったお宮に参拝。境内は、七五三参りのおしゃまに着飾った子供達がチョコチョコ駆け回り、すっかり華やいだ雰囲気でした。
山の上から秋が足早に降りてきて、すっかりと秋色に染まっている西山山麓の林の中に、温泉宿や静かな佇まいのペンション、別荘が点在し、どこぞのように、アウトレットも巨大ショッピングモールもない、俗っぽさのかけらもない本来の姿の保養地。
木立の間から覗く別荘には、当たり前のように暖炉の煙突が突き出し、ガレージには東京方面の高級車が停まり、なんだか高級リゾート地のよう。(なんでも、ここの別荘には全戸、温泉が引かれているとのことです)
また、この保養地には、
で、今日の主な目的、そのギャラリー群の一つ
「アザレアギャラリー」さんで開催されている個展、
「松澤登美雄木彫り人形展」を見に行くこと。(松澤さんのプロフィールと作品の画像はこちら)
昭和初期の子供やおじさんおばさんをもモチーフにした木彫り彫刻。その作品たちは、荻原碌山や朝倉文夫、若しくはオーギュスト ロダンなどの近代彫刻作品が持つ、そのものが持つ造形のバランスの頂点を一点に凝縮して、対象物の過去も未来も排除し、遊びの無い緊張しきった「かたち」で人に畏怖の念を覚えさせる表現や、見るものに対して、あらかじめ鋭敏な美的センスと芸術的理解力を強要する前衛彫刻の表現などとは全く違う、過去から未来へ続く、生き生きと存在する誰でもが解かる時間を表現されていると私は感じ、見ていると、おにぎりをほおばったり、茶碗酒をのんだり、雑巾がけをしたり、立ちしょんべんをしたりする彫刻たちの、笑い声や話し声が何の不思議も無く聞こえて来るような気になります。 あきれるほど時間をかけて作品を見た後は、併設の喫茶店で、温泉で淹れたコーヒー(なんとこの温泉郷では、家々の蛇口をひねると、普通の水道水の如く温泉が出るそうで)とチーズケーキをいただき、一息。出窓に置かれた、うがいをする子供達の彫刻がまた、心を和ませてくれました。
ギャラリーを後にして、しばらく林の中の道を散策して、程よく疲れたところで、第2の目的である、
温泉へ浸かりに。
今日は、日帰り温泉施設「穂高健康温泉館」へ入浴。大きな暖簾を潜り、木の引き戸を開け、受付で入浴料400円を払い館内へ。浴室内は10メートルと8メートルほどの長方形の大きな湯船が一つと、小さな寝湯の浴槽が一つ。洗い場は、立って洗えるカランが2つに、座って洗うカランが10個ほど。大きな湯船の中には、2つに仕切られた場所があり、見るとどうやら、今では使われていないジェットバスとジャグジーだった設備のなごりが残っておりました。
源泉は中房温泉にあり、湯はかけ流し。泉質は単純硫黄泉で、ほぼ無色無臭。
いやはや、久しぶりの温泉、思わず「極楽、極楽」とつぶやいてしまいました。
源泉は中房温泉にあり、湯はかけ流し。泉質は単純硫黄泉で、ほぼ無色無臭。
いやはや、久しぶりの温泉、思わず「極楽、極楽」とつぶやいてしまいました。
主治医の先生から、長湯はするなとの仰せなので、少々心残りのところで湯から上がり、
館内の畳敷きの無料休憩室で、
久しぶりの、風呂上りの一杯♪いや~、本当に五臓六腑に染み渡りました。
ここ一月、酒を飲んでいなかったので、たった、ビールの350ml缶一本ですっかり心地よくなり、思わず小一時間も熟睡。身も心もすっかり癒され、4時45分しゃくなげ荘バス停発の乗り合いバスに乗り、
本当に久しぶりに、心の底から「良い一日だったぁ~」と思える休日になりました。