ぶらりちいさな旅 (その6)

 鳥居峠を後にすると、

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道は結構な勾配の下り坂になります。

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山の春は遅く、樹々はようやく芽吹き始めたばかり。

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ところどころ、人も分け入れられないような急斜面に、鳥たちが里から運んだ種が芽吹き、育ったであろう桜の樹も、今が盛りと咲き誇っておりました。

また、道端には、

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山野草も可愛い花をつけております。

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 長い冬に耐えて迎えた春を、樹々も鳥も獣も謳歌する中、古道をぽっくらぽっくらと下ってゆき、

しばらく行くと、

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中の茶屋跡の東屋に着きます。

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 この辺りの谷は、別名「葬沢」(ほうむりさわ)と呼ばれております。

 天正十年と言うと、本能寺の変が起きた、戦国時代の真っ只中の頃。

 その歳の二月、織田信長と盟約を結び、武田勝頼に反旗を翻した木曽谷の国人領主 木曾義昌が、それを討伐するため派遣された、武田信豊の軍二千余兵をこの鳥居峠で迎撃。
 地の利を得た戦術で、義昌が信豊を撃退し、このとき戦死した武田方の死者五百余名をこの谷に葬ったことから「葬沢」というなんとも不気味な名がついたそうです。

 兵どもが夢の跡。血なまぐさい風が吹いたこの場所も、幾百の魂を抱きつつ幾星霜、今では長閑に山鳥が鳴いておりました。

 古(いにしえ)の戦場(いくさば)を過ぎ、

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野仏さまの優しい笑顔に見送られつつ、

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さらに古道をぽっくらぽっくらと行き、ようよう坂が終わると、

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中山道34番目の宿場「奈良井宿」に到着

続く