みやこ見聞録  (さすが千年のみやこ編2)


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嵐電の本線と北野線との分岐駅。右京区太秦帷子ヶ辻町にあります。

 かたびらのつじとは、これもまあ珍しい名前の地名。そもそも帷子(かたびら)とは、夏の着物の一種をさしますが、この地名の帷子は、経帷子 (死装束)をさしているとか。

 ものの本では、この駅のある場所の地名は、さる仏教を深く信仰する美しい皇后が、自分の死後、自らの遺体を墓に葬らず、とある辻に捨てさせ、いかに美しく高貴な人間も、死ねば醜く腐り朽ち果ててゆく様をみせ、諸行無常を示したといわれており、その皇后が着ていた経帷子に因み、その遺体のおかれた辻を帷子辻と呼れるようになったとか、別の話しでは、その皇后の葬送の列が化野へ向かう際、一陣の風が吹き、棺桶に掛けてあった帷子 (逆さ着物)が飛ばされ、それが落ちた辻に因んだとも言われているそうです。

 いずれにしても、深すぎる歴史がある駅名です。

 その帷子ノ辻駅を降り、

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どこにでもある、何の変哲も無い普通の住宅街を少し歩くと、これがまた、異空間が広がります。

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住宅街のど真ん中に、いきなりフェンスに囲まれた緑地があります。

見た目には、ちょっと広めの何処かのお宅の庭か、さもなくば公園に見えますが、

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 実はこれ、れっきとした古墳。まあ、今残っているのは、後円部分の横穴式石室だけなのですが、全体は前方後円墳だったそうです。

 長い歴史の内に、墳丘の土は自然に流出したり、人々が削ってしまったりで、石室以外、古墳の遺構は残っていませんが、今でも、

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上空から見ると、それらしい形で建物が並んでいるようです。

 案内板によると、被葬者は6世紀末から7世紀初めくらいの、この土地の有力者、秦氏一族の首長クラスの方だったと考えられているそうです。
 
 しかし、そんな歴史のある遺跡が、

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こんなごく普通に人々が暮らす住宅街に、何気なく普通にあるとは、さすが京のみやこ、どんだけ歴史があるんじゃと言う話しです。

 ところで、なぜこの古墳が「蛇塚」と呼ばれているかと言うと、なんでも昔はこの石室の中に蛇が棲息していたことからだとか。

 この薄暗い石室の中で、絡み合い蠢く蛇・・・・・・

 うわわわ! いかんいかん、想像したらゾッとしてしまいました。